欧州アートログ

ヨーロッパにおける企画展、ギャラリー、アートフェア等のログを淡々と書き記します。

Cao Fei: Blueprints @ロンドン・サーペンタイン・ギャラリー [Log29]

サーペンタイン・ギャラリーで開催されている「Cao Fei: Blueprints」に行ってきました。その模様を淡々と書き記します。

いや、今回は少しカロリー多めに書き記します。本ブログにしては長い投稿なので、お時間ない方は太字だけでも斜め読みして頂ければ幸いです。

f:id:EuroArts:20200824025521j:plain

 

記事のポイント

  • 中国を拠点とする中国人アーティストの巨星
  • 先端技術を使ってディストピア感を演出した作品
  • その描写するものの真意は、もしかして…

 

Cao Fei(曹斐)さんについて

曹斐さん(日本人的には漢字の方が馴染みがあるので、以下漢字表記。1978~)は、文化大革命終結宣言の翌年に広東生まれた女性アーティスト。現在は、北京を拠点に活動されています。

同国を拠点とする中国人アーティストとしては、最も注目すべきアーティストの一人だと思われます。ArtreviewのPower100 2019では堂々の17位。前年の45位から一気にランクアップしています。恐らく、2019年に開催されたパリ・ポンピドゥーセンターでの個展大成功の影響でしょう。早くから各地の国際展覧会(〇〇ビエンナーレとか)に数多く出展しており、世界的に高く高く評価されている方です。

ちなみに、中国に在住していないアーティストを入れると、みんな大好き艾未未御大(最近ドイツから英国に移住)が上位!かと思いきや、御大は24位と前年の5位から大幅ダウンしています。

 

艾未未先生の世界的人気に触れた記事はこちら

 

曹斐さんは、急激な中国の社会経済状況の変化とその中の市民とを題材にして、映像、デジタルメディア、パフォーマンス、インスタレーション等の作品を作るアーティストです。サーペンタイン・ギャラリーのページによると、その内容はシュールレアリスムに立脚しています。

この20年間で技術的な進展と国際社会との関係強化が進んだ(そして、これらは決して中国だけの現象ではない)状況を踏まえ、母国中国社会を出発点・主な題材とし、自分とそれ以降の世代とに強く影響を与えるこれらの変化と社会的・心理的内面との関係性を浮き彫りにしています。

ちなみに、福岡には、日本のコスプレ文化に影響された若者を題材とした作品「コスプレイヤー」(2004)があるようです。

 

どんな展示だった?

長くなるので、先に私が感じた結論を思い切って短く書くと、技術が進展し社会が急速に変革する中国において(又は中国を舞台として)、生身の人間が抱える葛藤、ただぼんやりとした不安、あきらめ等を、虚構の世界・時間の演出を通じて風刺する展示でした。

 

●本展示のウェブページはこちら

 

会場であるサーペンタイン・ギャラリーは、ハイド・パーク(正確には同公園と一体となっているケンジントン・ガーデンズ)の真ん中に建ち、1970年の開設以来、エッジの効いた現代作家の作品を展示してきました。本ブログでは、本年急逝されたクリストさんのマスタバをご紹介しました。

 

●クリストさんのロンドン・マスタバ 

 

そんな同ギャラリー(というか商業施設ではないので、日本語的には企画展メインの美術館)、現在のArtistic Directorは、あのハンス・ウルリッヒ・オブリスト大先生です。

当代を代表するキュレーターのお一人である大先生、Power100 2019では12位。前年の7位からダウンするも肩書「キュレーター」としてはトップ。本年1月には東京芸大で特別講演をされています。お相手は、日本を代表するキュレーターのお一人であられる長谷川祐子大先生。アツい。

 

●東京芸大での特別講演については、こちら

 

曹斐さん初の英国での企画展である今回の展示にも、もちろんハンス大先生がキュレーターとして名を連ねています。熱盛です。

 

展示は、大きく分けて2部構成です。

 - 前半は、本企画展のためのサイトスペシフィックな作品を含む「紅霞」もの

 - 後半は、過去の作品(2006~2018)を展示するものです。

 

まず最初にお伝えします。鑑賞時間が全く足りませんでしたコロナ対策により事前予約制(人気らしくて空きスロットがなかなかない)であるのみならず、滞在時間が一時間に制限されているためです。

「紅霞」もののメインである映像作品だけをとっても、1時間45分の上映時間であるにも関わらず!とても素晴らしい展示であっただけに、あまりにも無慈悲。会場側として、多くの人に鑑賞してもらう×より深く鑑賞してもらう という背反する変数の積和を最大化するよう苦心した結果だとは拝察されるものの…。

 

展示前半部分について

前半の「紅霞」。これは、北京の中にある地名です。中国語サイトを漢字読みして推察するに、おそらく酒仙橋という地区にある紅霞路周辺の地域を指していると思われます。現在、彼女がフィールドワークを5年続けている場所あり、2015年から彼女が活動拠点として住居・スタジオを置いている場所でもあります。

冒頭の写真は、展示の最初にばーんと登場する「フロント」で、彼女がスタジオとしている紅霞の旧映画館兼集会所の入口を再現したものとなります。

 

展示の中身に行く前に、ネタバレ的な要素もありますが、この「紅霞」の歴史を概観します。歴史こそが、この作品を読み解くカギだと思ったためです。

この地区は、中華人民共和国が建国された後、同国の科学技術発展の原動力でした。

それまで農村エリアであった同地区に、1952年以降、所謂ハイテク産業を振興する共産主義国家的な「計画」(Blueprint)の下で同国初の電子管工場が作られるとともに、通信技術を進展させる「計画」に基づく通信産業、宇宙開発を進展させる「計画」に基づく人工衛星部品産業等が数多く立地しだしたそうです。これにより、急速に中国の先端産業を支える工場のコングロマリットと変化。労働力である若者が多く集まる地域だったそうです。いまや世界中を席巻する中国のコンピュータは、此処で初めて製作されました。

なお、極めつけの「計画」が原子爆弾。同国初の核戦力も、この地域で生まれた模様です。

そんな地域も、中国が経済的に発展し先端産業が他都市でも花開いていく中、次第に廃れていきます。地域コミュニティの中心であった映画館兼集会所も、北京五輪に向けた急成長の中でひっそりとその幕を降ろしたそうです。いまは廃墟をアーティストが使用していますが、再開発のうねりの中、間もなく除却されて高層マンションか何かになるようです。

一方で、この地域のリアルであった先端産業の成果たちは、その後進化を遂げて人々の生活の一部となりました。昔は遠くに見えていた米国と覇を競う現在の中国の、大きな力となっています。

さらに言えば、アーティストは此処まで言っていないので私見ながら、「紅霞」は、中国人民14億人を統制する「ビッグ・ブラザー」の礎を築いた地区だとも言えると思います。上にリンク張った本企画展の紹介ビデオの中でアーティストは言っています。「我々のインターネット使用は、データーベースの一部となっている。今や、指紋、顔、監視カメラ映像は全て記録されている。一方では喜ぶべき我々の発展だが、他方でデジタルへの貢献である」(意訳)。

ちなみに、「紅霞」地区の過去の写真や映画館の外観は、こちらのリンクに掲載されています。中国語のウェブページとなるので、気になる方はご留意ください。

 

歴史を踏まえた上で、前半の展示作品ですが、大きく2つありました。ARと映像作品です。いずれも、「紅霞」地区を5年に渡り(この年数も意図的かどうか不明ながら共産主義国家の「計画」っぽい)社会学的に調査した内容が遺憾なく発揮されています。

1つめのARの作品(「The Eternal Wave」(2020))ですが、展示区画のなんともない部屋にアプリを起動したスマホをかざす形式です。すると、あら不思議。映画館兼集会所のなんともない台所のテレビを操作できたり(日本でいう昭和っぽい歌謡曲が流れる)、冷蔵庫を開けたり(何故か白菜だらけ)、新聞をめくったり(毛沢東とインドの副首相?が会ったらしい)、調理台下の扉から炎(核か?)が出てきたり、シンクの中から宇宙飛行士が出てきたり。

 

●AR作品の様子:1枚目が現実。2枚目以降がAR

f:id:EuroArts:20200824053816j:plain f:id:EuroArts:20200824053900p:plain f:id:EuroArts:20200824054340p:plain

f:id:EuroArts:20200824054202p:plain f:id:EuroArts:20200824054250p:plain

物理的距離を超えて北京の台所に行けるだけでなく、時間を超えて中国初のコンピュータが作られた頃に、しかも現実では有り得ないことが起こる不思議な空間へと誘われます。この不思議な感覚は、もしかしたら「紅霞」の住人が一生で経験した急激な変化の体験を凝縮したものに近いのかもしれません。なお、これらの演出は本企画展の他の展示とのリンクが張られており、展示ごとの異なる世界線がAR世界を通じて繋がっているという体験を誘う仕掛けでもありました。

この作品は元々VRとして制作されました。本企画展は、一旦3月中頃(当時にとっての未来を知っている今の我々からすると最悪の時期)にオープンしたのですが、その時はVR作品だったそうです。しかし、コロナ禍により今月再オープンするに当たって自分のスマホで操作できるARに作り替えられたとのこと。VR作品は、このキッチンから更に過去の世界に広がっていくものであったらしく、最早生ける伝説となっているマリーナ・アブラモヴィッチさん(今年RAで大回顧展をやるはずだったのに、延期に…)が「体験した中で最高のVR」だと言っていたそう*1なので、ぜひ体験してみたかった!

こちらの記事で曹斐さん本人が語っている内容によると、彼女はVRの世界に浸るという効果については懐疑的で、装置のセット、意思とコントロールとの僅かなズレ等はむしろリアルではないことを強調しており、感情移入という点では映画に劣ると言っているようです。彼女は、アジプロ(ママ。いわゆる共産主義プロパガンダ)としてのVRや、「リアルでなくてもよい」「真実でなくてもよい」という志向に影響を与えるのではないかとみているようです。

 

2つ目の映像作品(「Nova」(2019)は、上記の通り滞在時間制約により途中を30分ほど観ただけですが、「紅霞」の映画館を主な舞台にしながら、中国初コンピュータの頃の古い街並みに超ハイテクな感じが融合したレトロSFな世界観の中(円筒形のポストに投函すると、上に「送信しました」と文字が浮かんでいる。太極拳的な動きをしている人たちがライトセーバーを持っている。みたな)、コンピュータ、放射能耐性、宇宙飛行士等の「紅霞」要素・ARで出てきた小道具を織り交ぜた上で、技師であった父親の手によりバーチャルデータ化された息子の葛藤、不安等を描いた内容でした。観た範囲では

本投稿をするに当たって調べた範囲だと、大体の筋は合っていると思われます。

どうもこの作品は、色々と細かくメッセージが散りばめられているような気がしてなりません。若い男性が2人会話しているシーンで一人が「俺は資本家になる。お前はプロレタリアートになるんだ」と言っていたと思ったら、そいつが後になって首から「×」と書かれた段ボール片をぶら下げて登場し「みんなが幸せならそれでいいや」と呟いてフレームアウトしたのが気になりました。

 

展示後半部分について

展示の後半は、過去作品(2006~2018)です。

 

順路でいうと、まず「La Town」(2014)。上のAR画像の最後の写真に、謎にが居るかと思いますが、そいつが大暴れしたりして大変なことになる世紀末的ストップモーション映像作品です。この作品は観ている余裕がありませんでした。

 

次に行きます。「Asia One」(2018)。こちらはインスタレーション映像作品自動化された配送センター(全てが機械化されているどでかいアマゾンの倉庫を想像してください)で働く男女2人。「ロボットと人間とが協働して」的なスローガンが掲げられた工場の中で、人間的意義の分からない仕事を別々にしている中、2人と不気味に人間どもを監視しているペッパー君との関係が変化していきます。そして突然、文革チックなダンサーたちが登場し、踊りだします

    ※ OKな奴かどうかわかりませんが、抜粋動画はこちら(Youtubeなので、そういう意味ではご安心を)。

こちらも時間制限があり途中しか観れていない(この作品も一時間超)ので何言っている分からないと思うのですが、本作品を所有するグッゲンハイム美術館のページによると、大体これで合ってます。そういう作品です。

 

最後に「Whose Utopia」(2006)。これは比較的分かりやすくて、工場で大勢が黙々と手作業をする中、工員が一人一人、ダンスをしたり、バレエをしたり、ギター弾いたりします。機械のように作業する大勢の一方で、行われるのびのびとした表現押し殺している「人としてやりたいこと」が表現されています。Cao Feiさんの英語版wikipediaでは、この作品が記念碑的に取り扱われています。

 ※ OKな奴かどうか分かりませんが、本作品はこちらで全部見れます(Youtubeなので、以下略)

こちらも、所有者であるグッゲンハイム美術館のページで趣旨を確認しました。

 

感想は?

曹斐さん、正直存じ上げませんでした。インスタで流れてきた冒頭のエントランスの画像と、場所がサーペンタインであるという事実とが、「これは観なければ」というサイレンを私の感情に巻き起こし、事前知識なく行ってきたのが本展です。本当に、心からこのタイミングで行って良かったと思う展示でした。そして、心から時間制限がなければと思う展示でした。

 

改めて書くと、技術が進展し社会が急速に変革する中国において(又は中国を舞台として)、生身の人間が抱える葛藤、ただぼんやりとした不安、あきらめ等を、虚構の世界・時間の演出を通じて風刺する展示でした。

全編に通じて言えるのは、ディストピア感満載であるということです。ディック、ギブスン、攻殻機動隊やPSYCHO-PASSチックな雰囲気を漂わせながら、距離、時間、虚実といった壁を飛び超える作品のにおいて抗えない外的要因の中で生身の人間が人間らしい感情を見せるというところが一貫していると思いました。この点、本人は「ファンタジー化が得意な悲観的夢想家」だと自分を評しています*2

 

飛び越える際に使える表現手段として映像を多用していたところ、VRやARといった手段もこれらの飛躍に有効であることから今回挑戦してみたということなのでしょう。

 

中国における社会経済状況の変化は、当事者ではないので推察するしかありませんが、日本の高度経済成長やバブルの体験より、より巨大で、より本質的であったことでしょう。特に、この20年のICT技術の進展と工業国としての成熟とが時期的に重なったことから、その波の真っただ中の当事者が覚える感情は、一層全能感に満ちたものか、一層深刻な不安に苛まれるものであるのかも知れません。

 

そして、アーティストはその風刺の中で、もしかしたら母国の在り方に対する考えを散りばめているのかも知れないと、いや、明らかに散りばめていると感じました。言葉にしたらおしまいの状況の中、非言語の情報伝達手段であるアートだからこそ可能な方法で。

あの大先生がキュレーションしている中国人作家の個展で、この視点を無視するはずがあろうか!

この点、本展に関するFinancial Timesの記事は「彼女は我々側だ」から始め、「Yes, 曹斐は我々側だ」で終わっています。同紙が言う「我々側」は、推して知るべしです。

 

その上で、さらにコロナ禍で中断していた本展示の意義は図らずも深くなったと言えるでしょう。

人のつながり、物理的距離、Zoomという画面上の世界とリアルとの違い、リモートワークで明らかとなる「いらない」何か、エッセンシャルワーカーの意義と扱い、データが示す内容と人が感じる不安とのズレ、真実とデマ、様々な「計画」と実現されるものとの差などなど。

曹斐さんが作品で問いかけるテーマはとても今日的で、鑑賞者の思考を惹起し、感情を揺さぶります。

 

今回は感じることが多く、本ブログのプロフィール欄に反して色々書いてしまいました。それでも未熟さゆえに、半分も言語化出来ていないのですが。 

 

ではまた。 

 

*1:本展に関するFTの記事(2020.07.21付)による。

*2:Artforum記事(2020.03.15)による