欧州アートログ

ヨーロッパにおける企画展、ギャラリー、アートフェア等のログを淡々と書き記します。

リン・チャドウィック展 / AT HOME [Log 24]

Pangolin Londonがオンラインで開催している「Lynn Chadwick: AT HOME」を鑑賞しました。その模様を淡々と書き記します。

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画像引用:Pangolin London Exhibitions ページより

 

記事のポイント

  •  WW2後の英国を代表する彫刻家の一人
  •  アーティストと「裏方」との温かい関係
  •  「裏方」は、アートで世界を変えたい

 

この展示を見たきっかけ

Log21で、現代英国を代表する彫刻家であるアントニー・ゴームリーさんを取り上げました。また、Log23では、建築的作品を作成されている野又穣さんのオンライン展示に着目しました。

後者の投稿を書きながら「ゴームリーの一世代前、ムーアやヘップワースとの間の世代に、建築的な彫刻家が居たな、ぜひ記事を書きたいな」と思っていたところ、折よく先月末から7月末まで開催される本展示を発見。喜ばしくも記事を書くきっかけとなりました。

なお、本ブログは「淡々と書き記します」を冒頭の定型文にしていることから今回もそう書きましたが、実は今回の記事に限っては横道に激しく逸れながらの記事となります。早く展示内容を見たい!という方は、「どんな作品があった?」へ飛んでください。

 

チャドウィックさんについて*1

リン・チャドウィックさん(1914~2003)は、20世紀後半英国を代表する彫刻家のお一人。半抽象的な金属像で知られています。画像真ん中にある顔が平面化されている男女の像が「チャドウィックと言えば」という作風です。

彼は、ロンドン西南部に生まれました。建築家、特に作図屋さんとしてキャリアを歩み出した彼は、様々な建築家の下を点々とする中、特にロドニー・トーマスさんから薫陶を受けたそうです。

トーマスさんの情報はウェブ上に少なかったのですが、デザインした内装のイメージやV&A美術館に収蔵されているトーマスさんがデザインした家具から察するに、モダニズム的な自由な平面性を重視した方だったのでしょうか。トーマスさんは、ドローイングでも知られていた方のようで、彼の下でのOJTがチャドウィック唯一のアーティストとしての訓練であったそうです。

第二次世界大戦においては、海軍航空隊のパイロットとして大西洋戦線で兵役に。

その後トーマスさんの下に戻り展示会ブースのデザイン等をしていたところ、1947年に同氏の薦めで初めての「作品」を作成します。この頃のチャドウィックの作品は主にモービルで、明らかなカルダ―の影響が見られると言います。

その後、チャドウィックは1947年にロンドンを離れ、いわゆるコッツウォルズに移住します。1958年には、中世から続くマナーハウスを購入し、そこを住処及びアトリエと定めました。

 

英国では作品をよく見かけるアーティストで、当地のフェアなどで小品が出ていることが良くあります。また、ロンドンのフォートナム&メイソンの本店正面入り口上に、彼の作品が鎮座しています。

日本では、大阪御堂筋の彫刻ストリート東京清瀬市のケヤキロードに作品があるようです。

 

Pangolin Galleryについて

展示に入る前に、このギャラリーが気になりました。

彫刻を専門とする本ギャラリーは、ロンドン・キングスクロス裏の再開発地区にあります。陳腐な商業再開発ではなく、英国の代表的なアートスクールの一つであるCentral Saint Martinが校舎を構えた等もありクリエイティブな薫りのする再開発エリアです。その中にあるKings Placeという文化施設が集まった建物(無理に喩えると東急文化村的な)の中にあるギャラリーの一つが、パンゴリン ロンドンです。

 パンゴリンとは?

あれ?パンゴリンってアルマジロ的な動物だった気がするけど、どんなのだっけ???

分かりやすい記事をはてなブログ内で発見しました。

堅いウロコを持った、真っ赤に絶滅危惧されている動物です。

 なぜギャラリー名に?

では、なぜこの動物の名前がギャラリー名になったのか?色々調べてみました。

するとギャラリーは、そもそもPangolin 鋳造所なる彫刻作品を実際に鋳造する業者さんが2008年に開設したとが分かりました。この鋳造所、1985年に開業したのですが、1988年には場所をコッツウォルズに移しています*2。そしてその場所が、チャドウィックさんのマナーハウスにとても近い。どうも、チャドウィックさんのために、この鋳造所は移動してきた模様です*3

しかし、当該鋳造所のサイトにも名前の由来は書かれていません。諦めかけたとき、答えではないものの、有力なヒントを発見しました。鋳造所を開設したご夫婦の旦那さんの方が、ウガンダ(1962年英国より独立)生まれウガンダ育ちなのです*4。そこで、動物の形態についてとても詳しくなったとのこと。ウガンダは、パンゴリンのウロコの「輸出大国」です*5

アートスクールで出会ったというご夫婦は、形態への興味を自然の造形から人為への広げ、彫刻作品の鋳造を始めたのこと。これらの状況証拠から邪推するに、名前の由来は、堅いウロコに覆われたパンゴリンを金属に覆われた彫刻作品に喩えたか、兎に角パンゴリンの造形美に魅せられたかといった理由なのではと思います。

長らくオンライン展示から脱線しましたが、閑話休題。

 

どんな作品があった?

先ずは、下記リンク先にある動画をご覧ください。

天国です。そして此処が、1858年に作家が購入したマナーハウスです。曰く、ダレも欲しがらないので3LDKの住宅と値段が変わらなかったとのこと。

このオンライン展覧会のタイトル、ロックダウン中に家から見るから「AT HOME」なのかと思いきや、チャドウィックさんのおうちでの展示だからという期間限定ダブルミーニングになっています。ニクイ。

 ダミアン・ハーストとの関係

ところで、この映像を見ていると随所にダミアン・ハーストさんのスポット・ペインティングがあるのが気になります。高額で知られる作家の作品が、なんでこんなにあるの?

ここでまた、4段落程度、話が逸れます。

チャドウィックさんという彫刻家とそれを支える鋳造所を得たコッツウォルズは、続く彫刻作家が集まってくるようになりました。Pangolin 鋳造所は、ハーストさんやゴームリーさんの作品も手掛けるようになります。

こうして出来ていく繋がり。このマナーハウスを相続したのは、ご子息でアーティストのダニエル・チャドウィックさんですが、ハーストさんと親友だそうです。クリスティーズのサイトにコレクターとして登場し、当該マナーハウスを紹介しています。この中で「白黒のスポット・ペインティングは、なんか知らんけどハーストが送ってきた(意訳)」と言っています。裏山。なお、ご自身の白黒モービル作品を返礼品としたそうです。

しかしこの映像でもマナーハウスの内部しか出てこず、全容が分かりません。色々探した結果、見つけました。こちらのコッツウォルズのセレブ住宅サイトに「Home of Daniel Chadwick」として登場しています。こりゃ豪邸だ!

何んとなくスクロールを続けていると、「Home of Damien Hirst」が出てきましたが、…城です。なんだこりゃ。最下部のケイト・モスの寝室が10もある家が小屋に見えるレベルです。2005年に購入したこの「城」ですが、その後始めた改修工事が10年経っても終わらず、2018年時点で周辺の村人との間で揉め事に発展しているようです。

 展示作品について 

さて、展示作品。チャドウィックさんの作品が、年代幅広く網羅されています。細い脚にボディが乗ったような1950年代、平面、三角形等の幾何学的形態を模索する60年代、そして代表的な外套で覆われたカップルと非常に多くの作品が揃っています。

このブログでは存命のゴームリーから遡っているので分かりにくいですが、いずれの作品も基本的には鉄の棒で構築された直線の骨組みが感じられるという点で、ギリシャ以来の伝統的な彫刻像や一世代前のむしろ丸っこいムーアやヘップワースと味わいが大きく異なります。

ここから何を読み取るかは、当たり前ですが、鑑賞者の心の中身が問われているように思えます。チャドウィックさんはアートとは「想像力により捉えられ、アーティストの力量で翻訳される、闇からくる生命力の表明」とカッコイイことを言っています*6

 

感想は?

今回は、淡々と書き記さず、記事を書くときに生じる右往左往をそのまま書き記してみました。結果、展示そのものというより、周辺の話の方が圧倒的に分量が多くなりました。

作品が無機質なチャドウィックさんだからこそ、単体として見るのも良いけど、アーティストの周辺の色々を踏まえて見ても面白いかなという個人的な実験です。結果的に乱文になった気もしますが、個人ブログなのでご容赦ください。

さて、今回の展示、生前からアーティストを支えるパンゴリンの「裏方」としての味わいも噛み応えがあります。英国を代表する彫刻家の裏に、パンゴリンあり。この「裏方」に徹する立ち位置について、ご主人は鋳造所をオーケストラに喩えています。「素晴らしいベートーベンを聞くときに、第一バイオリンが誰か気にしませんよね」*7と。

 パンゴリン、ウガンダへ還る

こうして名だたるアーティストたちと温かい関係を気づいてきたパンゴリンは、2008年にウガンダの地にアートセンターを開設しました。

折しも、ロンドンのギャラリー開設と同じ年です。再開発にアートの要素をという大都市ロンドンでの動きは、実はトレンド化しています。少々乱暴に言ってしまえばスラムクリアランスの手法として、文化施設を設けて地域の文化への接触を増やすというアイディアです。

1962年に独立した後のウガンダは、暫く政情が安定しませんでした。70年代はアミンによる軍独裁政権が、その失脚後も内戦が勃発。86年から現在まで大統領の地位にムセベニ政権において、北部を除き、安定が進みつつあります。

パンゴリンは同国南西部に、ブロンズアートを通じて地域経済を作り、かつ、教育文化に貢献しようとしています。鋳造で必要なエネルギー源が持続可能であるよう、植林により循環を形成する等の取組を図っているようです*8

 循環経済へ向けて 

英国であっても、ウガンダであっても、アーティストが食っていくためには作品を売らなきゃなりません。いくら生国に貢献しようと思っても、経済的循環がなければ理想に終わってしまいかねない。そのため、ギャラリーを含めて、「表舞台」にチャレンジしているということなのかも。

アートと経済(資本主義)との関係は、よく議論されるテーマです。この点、アーティストではない立場でアート作品を作ってきたパンゴリンが、欧州とアフリカとで、経済を巻き込んだり巻き込まれたりしているというのは、何とも味わい深い動きです。

ではまた。

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